アウシュヴィッツ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所へ再訪

先日、ファンと一緒に訪問したが、到着した際には閉館という間抜けな結果だった。

なので今回は再訪となる。

勉強をしなかった自分でさえアウシュビッツのガス室に関しては凄惨な歴史として脳裏に刻まれている。

クラクフ出発の見学ツアー

最寄りの都市となるクラクフではツアーが多く組まれている。

肝心の費用は50ユーロくらいが相場みたい。

含まれるのが往復のバス代金とガイド料金となる。

両方合わせても25ユーロ程度なので考え方によっては割高かもね。

入場料無料だった

実はアウシュビツへの入場料金は無料であることはあまり認知されてない。

事前にホームページから予約をして希望のガイド言語を選び指定した時間で利用可能。

因みにガイド料金は日本円で2千円未満。

アウシュビッツのホームページは記事の最後にリンクを貼り付けます。

↓↓画像が多数あります↓↓

ガイドなしで4時間

日本語ガイドの中谷さんを希望していたが、

2週間待ちと人気が高く諦めた。

現地では日本語の説明ガイドが25zl(日本円換算:約750円)で販売。

ガイドを読みながら内覧することで十分だと思う。

「働けば自由になれる」と書かれたゲートをくぐる。

このアーチを作ったのも収容されているユダヤ人。

アルファベットの「B」が逆さになっているのは隠れたの抵抗と聞いた。

※諸説あり

上記画像の右側から3個目のアルファベットが「B」見えにくいな。

ここを気の遠くなる数のユダヤ人が通っていった。

子供、年寄り、健常者、障害を持つ人をふくめて最初の選別がまっていたと知った。

労働に使える人間とそうでない人間とを分けた。

子供、高齢者、妊婦含めて全員が死の道へ続くゲートへ向かっていった。

日差しが差し込む住居棟には凄惨さを感じない。

何番目の棟か忘れたが、一瞬壁の模様に見えた。が・・・

近くに寄ってみると全て犠牲となったユダヤ人の名前が書かれていた。

おびただしい量である。

見せしめ首吊り台

住居棟からあえて見える場所に設置された首吊り台。反逆した者は見せしめの絞首刑をうけた。

当時のままの鉄筋が残されている。ここで実際に首を吊られた人間が沢山いると考えると恐怖しかない。

当時、有刺鉄線には200万ボルトの電流が流されており誰も逃げ出せない状態だった。

名前から番号管理へ

収容されると名前ではなく番号で管理された。

コレは番号を刺青にする専用の針。

大虐殺

ガス室で使われたらチクロンBの空缶や女性から削がれた2トンに及ぶ髪の毛が厳重に保管されている。

ユダヤ人達の骨が三角錐に収められている。

実際に使われたチクロンBの空缶

ガラスの向う側にあるけど、1缶で何人のユダヤ人を殺害したのだろうか。

生々しい。

チクロン缶と珪藻土に含まれたシアン化水素が反応することで殺人ガスが発生する。

紫外線から遮断された部屋に集められた髪の毛。

ガス室で殺害されたユダヤ人達も同様に削がれて集められている。

当時は袋に詰め込みドイツの企業へ販売されていた。

多くは生地やフェルトの原材料として利用された。

重犯罪の証拠

ナチは痕跡を消す為にユダヤ人から略奪した物品の保安倉庫を急いで空にしようとした。

5号棟ではナチが破棄するのに間に合わなかったユダヤ人の財産の一部が残されている。

おびただしい数のメガネ。

全体の極々一部。

義足や杖が集まっている。

障害者・病人・怪我人は全て労働に使えないので全員ガス室送りにされている。

色々な義足が集められている。

中には松葉杖が折れているものがあったが、乱暴されたのだろうか。

新生活を送るために持参された食器や鍋が集まっている。

ここはブラシやクシが集められている。

このおびただしい量に愕然とする。

缶に入った歯磨き粉や靴クリーム

自分たちは帰れるものと信じさせる為に名前と住所を書かせた。

こちらも奥が見えないくらいに山積みになっている。

続いて収容者の靴達。

奥の奥まで靴が山積みになっている。

もの凄い量。

もう引くね。

近くに寄ってみると、子供たちの靴も沢山ある。

心が痛い。

被収容者の生活

囚人服に付けた、収容所送りの容疑によって違った標章の一覧表がある。

写真に写っている全ての女性・男性は収容所で亡くなっている

収容されたユダヤ人が着せられていた囚人服。

ブログに掲載していいか悩んだ。

でも載せる。

どんな気持ちで写真を撮影されたのか意識すると、色々な目が見えてくる。

怯えきった目、

すきあらば逃げ出してやるって目、

仲良くなろうとする目、

反骨精神みなぎる目。

何をしようと全員が殺害されてしまった。

ここにある写真もごく一部に過ぎない。

少し涙ぐむ少年の姿が痛々しい。

何か言いたそうに像が見守っている。

衛生環境

最初の数ヶ月は、被収容者は床に敷いた藁や藁布団に重なり合って夜を過ごした。

真冬はマイナス数十度になると聞くポーランド。

藁で寝るには限界がある。

弱い者は死ぬしかなかった。

凍死する方がましだったのかもしれない。

トイレの時間でさえ管理制限されていた。

もはや人間の生活ではない。

洗面所だったかな。

あまりに濃密すぎたので、外へ出て空気を吸った。

10号棟では人体実験も行われていた。

実験用の女囚と書き記され、実験中に死んだり、

死体解剖のために殺されたりした。

手術実験では麻酔をつかわなかったので、

犠牲者たちは多くの苦痛をもたらした。

生還しても大半が不随になったという。

不随者となった者はガス室送りとなる。

11号棟中庭

10号棟と11号棟の間に中庭では銃殺刑を行われた「死の壁」がある。

死刑判決を受けた囚人や11号棟の収容者を銃殺した。

多くの花束がお供えされている。

ここを通っていったのか・・・。

裸電球か寂しげだ。

ここも首吊り台となっている。

住居棟からも見える距離にある。

ガス室入り口付近

内側の朽ち果てた壁がおぞましい。

実際にガスが送り込まれたガス室。気づかなかったが、

壁には這い上がろうとして周囲には引っかき傷が残されていると後から聞いた。

弱い者は下敷きとなり、強いものが這い上がる。

ユダヤ人を殺害し存在を消す為に横には火葬炉が待ち構えている。

現代の火葬炉では体格や肥満度によってかわるが速ければ40分、

おおよそ1時間程度でお骨上げができる状態になる。

当時は1日最大340体火葬することができたそうだ。

ガス室を抜けて外から撮影した。

ブログでは残しきれない動画・画像を沢山収めてきた。

希望があればコメントください。

公開できない写真や動画もあります。

第1収容所から3キロほど離れた場所にあるビルケナウ。

時間がなくて写真撮影のみで終わってしまった。

入口付近では沢山の花が咲いていた。

本当に広い。

ユーラシア大陸の各国から集められたユダヤ人の方々。

心からご冥福をお祈りします。

参考情報とリンク一覧

アウシュビッツホームページ(予約可能)

アウシュビッツ個人観光(公共交通機関行き方)

ABOUT ME
metabon1975
2018年にユーラシア大陸横断 2019年にアフリカ大陸縦断を終えて日本へ帰国。 再度準備が整い次第、南米コロンビアから再スタート予定。 現在は旅先で増加した体重を落とそうと奮闘中。 今後はバイクツーリングやキャンプ記事を投稿します。