セドレツ納骨堂の骸骨が圧巻!
チェコ共和国のプラハを後にして、隣国ポーランドへ向かうことにした。
出発前日にメッセージが飛んできた「骸骨納骨堂へはいかないの?」。
あれっ、存在をすっかり忘れていたぞ!?
てな訳で、急遽ルートに組み込んだ。
所在地
セドレツ納骨堂って?
何故、4万人もの人骨が集まっているかというと、この納骨堂の歴史に由来する。
1278年、ある修道士が、外交使節としてエルサレムへ行った際に帰りに
ゴルゴダの丘の土を一掴み持って帰って、この地に撒いたことで、
聖なる地と認知されて埋葬希望者が殺到。
その後、14世紀にペストの流行で多くの死者がでたことで、
約3万人が埋葬されることになる。
その後、芸術家ミュシャのスラヴ叙事詩にも描かれている
フス戦争でも多くの死者が出て同様に埋葬された。
それから時を経て1870年を迎え
シュヴァルツェンベルク家からの依頼により、
チェコの木彫家 フランチーシェック・リントによって制作された。
納骨堂の壁には彼のサインも骨で作られている。
セドレツ納骨堂へ到着
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プラハから60km程度の距離なので、到着はあっといいう間。到着からスタートw。
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入口付近に駐車スペースを見つけた。逆走したわけじゃないよ。
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ご覧の通り、納骨堂の周囲はお墓になっている。
周囲に囲いがされていて、今なお発掘作業が続いている。
支払いを済ませて入場した
プラハ観光に比べても良心的な価格設定!
大人 90コルナをカード決済で入場した。
このくらいだと気軽に入れるんだけどな。
※日本円換算 約450円 2018年10月現在
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入場して正面には骸骨シャンデリアが出迎えてくれる。
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シャンデリアは人骨全てのパーツをくまなく使って制作されている。
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これだけの人骨があるにもかかわらず、不思議と恐怖とか陰鬱な空気は一切感じない。
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骸骨で作られた聖杯。
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納骨堂の装飾を依頼したシュヴァルツェンベルク家の紋章。
ガイドの説明を盗み聞きw。
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奥にはイエス・キリスト磔刑がある。
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別角度からパチリ。
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はて、頭をかち割られたのかな?
これだけ人骨が寄せ集まってると、
隣り合う骨同士が同じ人間ってまずないね。
何か深いことを考えるのだろうかと思ったけど、
健やかな気分で納骨堂を後にできた。
観光客がくることで供養にもなっているんかな。
納骨堂を後にして、ポーランドのクラクフへ向かった。
プラハからクラコフまでは道が狭く、
集落を抜けたりするので渋滞があったりと、
なかなか距離が稼げずに夜8時を回って到着。
はい、お疲れ様でしたw